車載バッテリーの新たな命:適応型SOC推定がもたらすEVの進化
電気自動車(EV)の普及が進む現代において、ドライバーが最も気にする情報の一つが「あとどれくらい走れるか」という残航続距離だ。ガソリン車なら燃料計が正確に残量を教えてくれるが、EVの心臓部であるリチウムイオン電池の状態は、電圧や電流、温度などから間接的に推定するしかない。この推定値は「充電状態(SOC:State of Charge)」と呼ばれ、EVの燃料計ともいえる重要な指標である。
しかし、電池は生き物のように変化する。使用を重ねるごとに内部では目に見えない劣化が進み、容量は減り、内部抵抗は増える。すると、新品時の特性を前提に設計された従来のSOC推定モデルは、次第に実際の状態とずれを生じるようになる。推定が甘ければ途中でバッテリーが切れる「航続距離不安」を招くし、逆に保守的すぎると本来使えるエネルギーを無駄にし、車の価値までも損なう。この難題に、中国の研究チームが画期的な解決策を提案した。
従来のSOC推定は、主に三つのアプローチに分かれてきた。一つは、電池の電気化学的な挙動を回路モデルで模倣する方法。二つ目は、統計や機械学習を使ってデータからパターンを見つける方法。どちらも一長一短があるが、最大の弱点は「電池の劣化を考慮できない」ことだった。初期の状態を前提にしているため、時間の経過とともに精度が落ちるのは避けられない。
これに対し、東中国光電機集積デバイス研究所と北京理工大学の研究チーム(呉怡舟・劉岩・朱賢然ら)は、異なる発想で問題に取り組んだ。彼らが開発したのは、「劣化をノイズとして無視するのではなく、積極的に学習する適応型SOC推定システム」である。その核となるのは、三つの技術要素の融合だ。
第一が、「オンラインパラメータ同定」である。電池の挙動を模擬する「等価回路モデル」のパラメータ(抵抗値や容量値など)を、走行中のデータを使って絶えず更新し続ける。ここで用いられる「忘却因子付き逐次最小二乗法(FFRLS)」は、新しいデータほど重みを大きくして計算するアルゴリズムだ。つまり、電池の“現在の声”を常に聞きながらモデルを微調整し、劣化による特性変化をリアルタイムで反映させる。
第二が、「動的な容量劣化モデル」である。これは、電池の容量そのものがどのように減っていくかを予測するものだ。研究チームは、様々な負荷条件(温度や放電率)で加速劣化試験を実施。その結果、容量の減少は単純な線形ではなく、累積サイクル数に対するべき乗則に従うこと、そしてそのペースは温度と放電率の複合関数で決まることを明らかにした。
ここで重要なのは、劣化の速度が一定ではないという点だ。例えば、同じ運転パターンでも、電池が劣化するほど同じ加速に必要な電流値は大きくなる(パワー一定のため)。すると、さらなる劣化を加速するという悪循環が生じる。本研究のモデルは、各走行サイクルごとの負荷を逐次評価し、現在の容量状態を元に次の劣化量を計算する。これにより、個々の使用条件に応じたきめ細かい寿命予測が可能となる。
第三が、「適応型拡張カルマンフィルタ(AEKF)」を用いたSOC推定そのものの技術である。カルマンフィルタは、ノイズを含む複数のセンサー情報から最も確からしい状態を推定するアルゴリズムだが、その性能は「モデルと測定値、どちらをどれだけ信頼するか」という重み付け(ノイズの統計量)に依存する。新品の電池はモデルが正確でも、劣化が進むとモデルと実際の挙動に齟齬が生まれる。AEKFは、予測値と実測値の誤差(イノベーション)を常時監視し、この誤差が大きければ「モデルが現状に合っていない」と判断し、内部の重み付けを自動調整する。つまり、電池の老化に合わせて推定手法そのものを“学習”させていくのである。
この三つの技術が連携する。FFRLSが回路パラメータを更新し、劣化モデルが現在の最大容量を算出する。そしてAEKFが、これらの最新の情報を元に、電流積分(クーロンカウンティング)と電圧測定を融合させ、ロバストで高精度なSOC推定値を算出する流れだ。
研究チームは、都市走行パターン(UDDS)を模擬した条件下で600サイクルに及ぶシミュレーションを実施し、その性能を検証した。初期状態であえて10%のSOC誤差を与えても、200秒以内に誤差1.5%以内に収束。その後も容量が顕著に劣化していく中で、この高い精度を600サイクルにわたり維持することに成功した。固定パラメータのモデルが400サイクル目には4~5%の誤差を出すのとは対照的である。
この技術の実用化は、EVのユーザー体験と持続可能性に大きな変革をもたらす。
第一に、「航続距離表示の信頼性」が飛躍的に高まる。ドライバーは残り距離を過信したり、過小評価したりすることなく、安心して目的地まで計画を立てられるようになる。これにより、依然としてEV普及の障壁となっている「航続距離不安」は大幅に緩和されるだろう。
第二に、「バッテリーの利用可能容量の最大化」が図れる。現在のBMS(バッテリー管理システム)は、劣化に伴う推定精度の低下を見越して、実際の物理的な限界より手前で充電や放電を制限する(バッファを設ける)傾向がある。推定精度が高まれば、この安全マージンを必要最小限にまで絞り込み、これまで使えなかった数%のエネルギーを有効活用できる。同じバッテリーパックからより長い距離を引き出せるのだ。
第三に、「バッテリーの長寿命化とサステナビリティ」への貢献である。正確な劣化の予測は、過充電や過放電といった電池にストレスを与える操作を未然に防ぎ、寿命を延ばすことにつながる。また、使用済みバッテリーの「セカンドライフ」(定置用蓄電池などへの転用)を考える上でも、正確な残存性能の評価は極めて重要だ。個々のバッテリーの状態を正確に把握できるため、リユースやリサイクルの効率化が進み、資源の有効利用が促進される。
もちろん、課題は残る。本研究で用いられたのはマンガン系リチウムイオン電池であるため、現在主流のNMC(ニッケル・マンガン・コバルト酸リチウム)や、急速に普及しつつあるLFP(リン酸鉄リチウム)など、異なる化学組成の電池への適用には、それぞれの劣化特性に合わせたパラメータの再調整が必要になる。また、極寒地での挙動や超高速充電といった過酷な条件での実証も今後の課題だろう。計算コストについては、最新の車載マイクロプロセッサの性能向上により実用域にはあるが、実際の車載環境での堅牢性は今後検証されなければならない。
しかし、本研究の核心的な価値は、特定のアルゴリズムそのものよりも、「電池を静的な部品ではなく、変化する生体システムとして捉え、その変化と対話しながら理解を深めていく」という哲学にある。電池の劣化はもはや克服すべき敵ではなく、むしろ電池の状態を語る貴重な情報源なのである。
EVが普及期を迎え、中古市場の形成やバッテリーのリユースが本格化していく中で、電池の状態を「正直に、正確に」評価する技術の重要性はますます高まっていく。それは単なる技術の進化ではなく、消費者と自動車の間に「信頼」という橋を架けるものだ。何年、何万キロと共に過ごした愛車のメーターが、初めて買った日と同じように、正確に残りの旅路を教えてくれる――。適応型SOC推定技術は、そんな当たり前の信頼を、EVの世界で実現するための基盤なのである。
(本研究は、呉怡舟(ウー・イーヂョウ)、劉岩(リウ・ヤン)、朱賢然(ジュー・シェンラン)らが東中国光電機集積デバイス研究所(中国江蘇省蘇州市)にて、王怡萱(ワン・イーシュエン)が北京理工大学にて実施した。詳細は学術誌『Journal of Power Supply』2023年Vol. 47, No. 9, pp. 1158–1163に掲載。DOI: 10.3969/j.issn.1002-087X.2023.09.012)