リチウム鉄リン酸電池の容量推定、実車データで高精度化
電気自動車(EV)の普及が進む中、その心臓部であるバッテリーの健康状態(State of Health: SOH)を正確に把握することは、走行可能距離の予測、安全性の確保、そして車両の価値評価において極めて重要である。SOHを示す指標として最も代表的なのが「容量」であり、これはバッテリーがどれだけの電気を蓄えられるかを示す。一般的に、初期容量の80%まで低下した場合、バッテリーは寿命を迎えたと見なされる。しかし、この容量はセンサーで直接測定できるものではなく、間接的な方法で推定する必要がある。特に、リチウム鉄リン酸(LFP)電池は、安全性や長寿命という利点を持つ一方で、充電中の電圧がほとんど変化しない「電圧プラトー」という特徴があり、容量推定を極めて困難にしている。
この難題に対し、上海理工大学と清華大学の研究チームが画期的な解決策を提示した。陳星光(チェン・シングァン)氏をリーダーとするこの研究は、実際のEVが走行中に収集したデータを用いて、LFP電池の容量を従来よりもはるかに高精度で推定する新手法を開発した。その研究成果は、学術誌『Energy Storage Science and Technology』に掲載され、実用性と科学的妥当性の両面で高い評価を得ている。
従来の容量推定法にはいくつかのアプローチがある。一つは、実験室でバッテリーを完全に充放電して直接測定する方法で、最も正確だが、日常のEV運用には適用できない。もう一つは、機械学習などのデータ駆動型の手法で、大量のデータからパターンを学習する。しかし、この方法の最大の障壁は、「正解ラベル」、つまり実際の容量値が実車のデータには存在しないことだ。これにより、信頼性の高いモデルの構築が極めて困難であった。
研究チームは、これらの限界を克服するため、物理モデルに基づいたアプローチに注力した。彼らが採用したのは、「等価回路モデル(ECM)」と呼ばれる手法である。これは、バッテリーの複雑な電気的挙動を、抵抗やコンデンサーといった単純な電子部品の回路で模擬するもので、計算負荷が低く、車載のバッテリー管理システム(BMS)への実装が可能だ。しかし、標準的なECMには「容量」というパラメータが含まれていない。
ここで研究チームの巧みなアイデアが発揮される。彼らは、容量を推定するための基本的な「アンペアアワー積分法」とECMを組み合わせた。アンペアアワー積分法は、流れた電流を時間で積分することで充電量を計算する方法だが、その精度は「容量」の値に依存する。研究チームはこの関係性に着目し、容量そのものをECMの「未知パラメータ」の一つとして扱うことにした。つまり、ECMが実際のバッテリーの挙動をどれだけ正確に再現できるかを評価し、その評価に基づいて、容量を含む複数のパラメータを最適化していくのである。
この最適化の鍵を握るのが、「粒子群最適化(PSO)アルゴリズム」である。これは、鳥の群れが餌を探す様子を模した計算手法で、多数の「粒子(候補解)」が互いに情報交換しながら、最適な解の領域を探索していく。このアルゴリズムが、ECMの計算結果と実車データとの誤差を最小化するように、容量の値を調整していく。
しかし、この一見完璧な枠組みも、LFP電池特有の電圧特性の前では大きな壁にぶつかる。特に「スローチャージ」(通常の家庭用コンセントなどでの充電)の状況では、問題が顕著になる。LFP電池は、満充電に近づくと、電圧が急激に上昇する。一方で、スローチャージでは電流が非常に小さいため、バッテリー内部の「分極」による電圧降下も非常に小さい。この結果、実際の車両はBMSの設定された上限電圧(例:3.65V)に達して充電を停止するが、ECMモデルが予測する電圧は、実験で得られたOCV-SOC(開放電圧-充電状態)曲線に基づいており、満充電時の理論電圧が上限電圧を下回っている場合が多い。これにより、モデルと実測の間に大きなギャップが生じ、PSOアルゴリズムは大きな誤差に混乱し、容量の推定が不安定または不正確になってしまう。
この「電圧の急上昇問題」を解決するために、研究チームは「特異的最適化法」と名付けた、二本の柱からなる革新的な戦略を考案した。
第一の柱は「データの切り取り」である。充電末期の急激な電圧上昇部分は、モデルが再現するのが本質的に難しい。そこで、この問題のある部分を最適化の対象から除外する。具体的には、満充電時の理論OCVと、微小な分極電圧を足した値を「カットオフポイント」とし、それ以降のデータを無視する。これにより、全体の誤差(RMSE)が劇的に低下し、PSOアルゴリズムは充電の主要な領域におけるパラメータの最適化に集中できるようになる。
第二の柱は、より洗練された「二重次元の損失関数」の導入である。従来の最適化は、電圧(y軸)の誤差だけを評価していた。しかし、LFP電池の電圧プラトー領域では、電圧の変化が小さいため、いくら曲線がずれていても誤差が小さく評価されてしまう。そこで、研究チームは「電気量」(x軸、アンペアアワー)の次元を新たに加えた。つまり、モデルと実測の曲線が、同じ電圧に達するまでに必要な充電量が一致しているかも評価対象にする。例えば、電圧が3.30Vから3.35Vに上昇するのに、モデルが実測よりも多くの電気量を必要としていたら、それは大きな不一致を意味する。この二つの誤差(電圧方向と電気量方向)を重み付けして組み合わせることで、モデルは単なる電圧の形だけでなく、バッテリーの本質的な「挙動の署名」まで正確に再現する必要が出てくる。このアプローチにより、電圧プラトー間の微妙な「曲がり点」の再現精度が飛躍的に向上した。
この手法の信頼性を検証するためには、実車データに「正解」が必要だった。研究チームは、それを得るための二段階の戦略を取った。第一に、充電の前後で長時間(1時間以上)静止したデータを抽出した。この静止期間により、内部の分極が完全に消え、端子電圧が開放電圧(OCV)と等しくなる。このOCVから、実際の充電開始・終了時のSOCを高精度で特定でき、そこに充電された電気量を適用することで、真の容量を計算できた。これを「Label-1」とした。
しかし、このような理想的な条件のデータは非常に稀だった。そこで第二の戦略として、走行距離が5,000km未満の車両は、容量がほとんど劣化していないと仮定し、メーカーの公称容量を「正解」として使用した(「Label-2」)。この二つの検証方法を組み合わせることで、信頼性の高い評価が可能になった。
実験は、LFP電池を搭載した2種類のEVモデルで行われた。その結果は驚くべきものだった。モデル1では平均絶対誤差率(MAPE)が2.33%、モデル2では3.38%という非常に高い精度を達成した。個々の推定値の誤差は、最小で0.2%、最大でも6.9%以内に収まり、実用レベルに十分耐えうる精度であることが示された。さらに、推定された容量値は走行距離の増加とともに減少するという、バッテリー劣化の自然なトレンドを正確に捉えていた。
この研究の意義は、単に精度を向上させたことだけではない。実験室ではなく、ノイズが多く、条件がバラバラな「実車データ」を用いて検証し、その有効性を実証した点にある。これは、学術的な成果を現実の車載システムに応用するための大きな一歩であり、今後のBMSの進化に大きな影響を与えるだろう。計算負荷もそれほど重くないため、既存の車載コンピュータへの実装も現実的である。
もちろん、課題も残る。例えば、温度変化が容量推定に与える影響は、今回の研究では深く掘り下げられていない。バッテリーの特性は温度に大きく依存するため、将来的にはこれをモデルに組み込む必要がある。また、PSOアルゴリズム自体のランダム性により、同じデータでも推定結果に若干のばらつきが生じる。しかし、これはカーマンフィルタなどの手法で平滑化することで、実用上は問題を回避できる。
陳星光、沈逸凡、邵裕新、鄭岳久、孫涛、来鑫、沈凱、韓雪冰の研究チームによるこの成果は、LFP電池という「難しい相手」に真っ向から挑み、その特徴を欠点ではなく、最適化のヒントとして巧みに活用した好例である。彼らの手法は、LFP電池に特化しているが、電圧特性がよりはっきりしているNCM電池にも応用可能であり、汎用性の高さも魅力だ。今後、この技術が実際のEVに搭載されれば、ドライバーはより正確なバッテリー残量と寿命を知ることができ、EVに対する信頼感はさらに高まるだろう。
陳星光、沈逸凡、邵裕新、鄭岳久、孫涛、来鑫、沈凱、韓雪冰。上海理工大学および清華大学。Energy Storage Science and Technology。doi: 10.19799/j.cnki.2095-4239.2024.0144