四輪駆動EV、ブレーキエネルギー回生率65.55%を達成
電動モビリティの世界では、一ワット時(Wh)のエネルギーさえもが重要だ。自動車メーカーが航続距離の延伸と効率の向上を競う中、その鍵を握る可能性を秘める領域の一つが、減速時のエネルギー管理である。中国・江蘇大学の研究チームが発表した画期的な回生ブレーキ制御戦略は、電気自動車(EV)が走行中にエネルギーを回収する方法を根本から見直す可能性を秘めている。路面状態をリアルタイムで識別し、デュアルモーターの特性を最大限に活かすことで、標準的な条件下で65.55%という驚異的なブレーキエネルギー回生率を達成した。これは、四輪駆動EVの効率性において新たなベンチマークを打ち立てた成果と言える。
この研究を主導したのは、江蘇大学自動車・交通工学部の潘公宇(パン・ゴンユ)教授と徐申(シュ・シェン)研究員である。彼らの論文は2024年1月、学術誌『江蘇大学学報(自然科学版)』に掲載され、その技術的優位性と安全性への配慮が高く評価された。現代のEVには回生ブレーキが標準搭載されているが、その効率はしばしば保守的な制御戦略によって制限されている。多くのシステムは路面の状態を固定値と仮定しており、特にグリップの低い雪道や濡れた路面では、エネルギー回生を過剰に制限することで安全を確保しようとする。その結果、回収可能なエネルギーを十分に活かしきれていないのが現状だ。
潘教授らのアプローチは、この従来のパラダイムを覆す。彼らは路面を静的な背景ではなく、常に変化する動的な変数として捉える。その核となるのが、路面識別器(Road Identifier)と呼ばれる独自のアルゴリズムだ。このシステムは、各タイヤと路面の間の最大摩擦係数(ピークアドヘージョン係数)を、車輪ごとに個別に推定する。これは単純な「乾燥路」や「濡れ路」の判断ではなく、タイヤの荷重、摩耗、そしてその場その場の路面状態の微細な差異までをも考慮した、きめ細やかな計算に基づいている。
具体的には、システムはリアルタイムで取得した車輪のスリップ率と路面の摩擦係数のデータを、あらかじめ登録された8種類の標準路面(乾燥アスファルト、湿潤コンクリート、雪道、アイスバーンなど)の特性データベースと比較する。ここで用いられるのが「ファジィ制御(Fuzzy Control)」と呼ばれる高度な技術だ。ファジィ制御は、従来の「はい/いいえ」の二値論理ではなく、「やや滑りやすい」「かなりグリップしている」などの曖昧な情報を扱うことができる。システムは、現在の路面状態が各標準路面とどれだけ「似ているか」を数値化し、その重み付け平均を計算することで、実際のピーク摩擦係数を極めて高精度に推定する。
この精度こそが、従来システムとの決定的な差である。不正確な摩擦係数の推定は、二つの極端な失敗を招く。一つは、摩擦係数を過小評価し、回生ブレーキの力を弱めすぎ、回収可能なエネルギーを無駄にすること。もう一つは、摩擦係数を過大評価し、回生ブレーキの力を強めすぎて車輪をロックさせ、スピンアウトの危険を生むことだ。潘教授らの戦略は、この両極端を避け、車輪のスリップ率を最適な範囲内に保ちながら、最大限のエネルギーを回収する「最適スリップポイント」に近づける。
しかし、路面を正確に識別できたとしても、その情報をどのようにブレーキ力に変換するかが次の課題となる。特に、前後輪に独立したモーターを備える四輪駆動EVでは、制御の複雑さが格段に高まる。回生ブレーキと油圧ブレーキの力をどのように前後軸に分配すれば、最も効率的かつ安全に止まることが出来るのだろうか。
研究チームは、モーターの「外的特性」、つまりモーターが発生できる最大トルクと回転数の関係に着目した。ドライバーがブレーキペダルを踏むと、システムはまず車速、バッテリーの充電状態(SOC)、そしてブレーキの強さを評価する。車速が5km/h以上で、SOCが90%未満、かつ緊急ブレーキではないと判断された場合、回生ブレーキが作動する。ここからが本番で、システムは先ほど推定した前輪と後輪のピーク摩擦係数をもとに、前後軸に割り当てる回生ブレーキ力の上限と下限を設定する。
この戦略の肝は、動的な力配分にある。例えば、ブレーキング中に重量移動により前輪のグリップが後輪より高くなった場合、システムはより多くの回生ブレーキ力を前輪に集中させることができる。逆に、前後輪のグリップが均等であれば、力の配分も均等に保ち、車両の安定性を維持する。この柔軟性こそが、固定された力配分比(例:前後50:50)のシステムとの決定的な差異であり、より多くのエネルギーを回収する鍵となる。
この戦略の真価は、路面状態が急激に変化するような過酷なシナリオで明らかになる。研究チームは、CarSimとSimulinkを用いた大規模なシミュレーションを通じてその性能を検証した。テスト車両は車両重量940kg、ホイールベース2.26mのコンパクトEVである。一つのシナリオでは、摩擦係数0.6の路面で40km/hから0.3Gの減速度で停止するテストが行われた。その結果、エネルギー回生率は65.55%に達した。これは、同様の条件下で50%前後が限界とされる多くの既存システムを大きく上回る数字である。
シミュレーションは、エネルギー損失の内訳も明確にした。回収できなかったエネルギーの約20%は、最終段階(5km/h以下)で回生ブレーキが停止し、油圧ブレーキのみが作動したことで発生した。残りの15%は、モーター、バッテリー、駆動系の変換効率の限界や、制御アルゴリズムの微細な誤差によるものだ。この分析は、今後のさらなる効率向上のための貴重な指針となる。
さらに複雑なテストとして、路面の摩擦係数が0.2(非常に滑りやすい)から0.8(非常にグリップしやすい)へ、そして再び0.2へと急激に変化するシナリオが設定された。80km/hから停止するこのテストは、従来のシステムにとっては極めて難しい。グリップが良くなった瞬間に回生ブレーキを十分に強化できなければエネルギーを損失し、再び滑りやすい路面に戻った際に回生ブレーキを弱めなければスピンの危険がある。しかし、潘教授らのシステムは、推定された摩擦係数が実際の値を非常に正確に追従する様子を示し、安定した制御を維持した。この結果は、都市部の雨天から晴れ、あるいは雪解けの路面など、現実世界で頻繁に起こる複雑な状況においても、本戦略が有効であることを強く示唆している。
この研究の意義は、単に数字を伸ばしたことに留まらない。それは、EVの設計における「システム思考」の重要性を再確認させられるものだ。メディアや消費者の関心は往々にして、バッテリーの容量や充電速度といったスペックに集中しがちだ。しかし、潘教授らの研究が示すように、エネルギー効率の向上は、バッテリーそのものだけでなく、モーター、駆動系、そして何よりそれを制御するソフトウェアに至るまで、車両全体のアーキテクチャーに存在する。回生ブレーキは、その中でも特に効果的な「レバレッジポイント」であり、その効果は、制御戦略が車両の特性と走行環境に最適化されているときに初めて最大限に発揮される。
技術的には、この戦略の成功は複数の分野の高度な統合に支えられている。タイヤ力学、モーター制御、ファジィ論理、リアルタイムデータ処理が、一つのシームレスなシステムとして融合している。特にファジィ制御の採用は、タイヤと路面の相互作用に内在する不確実性と非線形性を扱う上で極めて有効だ。システムは、「低」「中」「高」といった言語変数を用いて判断を下すことで、まるで熟練したドライバーの直感を模倣するような、柔軟かつ堅牢な制御を実現している。
安全性への配慮も徹底されている。研究チームは「ローセレクト(Low-Select)」という原則を採用している。これは、左右の車輪で推定された摩擦係数のうち、常に低い方を採用するという、保守的なアプローチだ。これにより、片輪が滑りやすい状態にある場合でも、システムは過大なブレーキ力を出力せず、横滑りやスピンのリスクを最小限に抑える。また、緊急時(減速度0.8G以上)には、即座に回生ブレーキを停止し、油圧ブレーキによる即時的な制動力を優先する。これは、どんなに効率が高くても、安全を犠牲にしてはならないという自動車工学の鉄則に則った設計思想である。
この研究が示唆するのは、未来のモビリティは、より大きなバッテリーやより速い充電だけでなく、より「賢い」システムによって支えられるということだ。センサー技術の進化により、将来的にはカメラやレーダーからの情報を路面識別器に取り入れ、さらなる精度向上が可能になる。また、マシンラーニングを活用して、個々のドライバーの運転スタイルや地域ごとの道路特性に合わせて、制御戦略をカスタマイズすることも夢ではない。
産業界において、わずかな効率の向上が大きな競争優位を生む。65.55%という数字は、技術革新のスモールステップが、最終的には大きな飛躍につながることを物語っている。潘公宇教授と徐申研究員のこの研究は、学術的な成果にとどまらず、明日のクルマがどのようにして、より効率的で安全な移動を実現するのかという問いに、一つの明確な答えを提示したと言えるだろう。それは、エネルギーを最大限に活用する知性の力である。
潘公宇、徐申(江蘇大学自動車・交通工学部)、「江蘇大学学報(自然科学版)」、DOI: 10.3969/j.issn.1671-7775.2024.01.001