基準がEVの真価を引き出す

基準がEVの真価を引き出す

映画『ロッキー』シリーズのファンなら、アポロ・クリード、クラブ・ラング、イワン・ドラゴという強敵たちの名前を思い出すだろう。ロッキーは常に圧倒的な困難に直面しながらも、最後まで諦めず立ち向かう。今日の電気自動車(EV)の状況もそれと似ている。消費者の信頼を勝ち取り、市場というリングで勝利を収めるためには、航続距離の不安や充電インフラの不足といった数々の課題を乗り越えなければならない。そして、これらの課題に立ち向かう上で、技術基準は不可欠な武器となっている。

電気自動車の普及は着実に進んでいる。国際クリーン交通委員会(ICCT)のデータによると、2023年にはアメリカだけで140万台以上のEVが販売された。国家再生可能エネルギー研究所(NREL)の予測では、2030年にはアメリカの道路上を走るEVの台数は3300万台に達するという。この数字は、EV市場が強力な勢いで成長していることを示している。

しかし、その一方で、依然として多くの消費者がEVへの移行に躊躇している現実がある。アメリカ自動車協会(AAA)が2023年に実施した調査では、回答者の53%が「航続距離」をEV購入をためらう主な理由に挙げており、56%は「充電ステーションの不足」を大きな障壁として認識している。これらの懸念は、EVの実用性に対する不安を如実に表している。

確かに、アメリカエネルギー省(DOE)の報告書によれば、2023年のEVの平均航続距離は一回の充電で270マイル(約435km)に達している。しかし、これはあくまで理想的な条件下での数値であり、実際の走行環境では大きく左右される。特に、バッテリーの性能に大きな影響を与えるのが「温度」だ。

Dynamic Manufacturing社の情報によると、リチウムイオン電池を搭載するEVは、外気温が68~86華氏度(20~30℃)の範囲で最も高い性能を発揮する。しかし、この範囲を外れると、その性能は急速に低下する。外気温が90華氏度(32℃)を超えると、航続距離は2~5%減少する。そして、95華氏度(35℃)という猛暑の日には、航続距離が20~30%も縮む可能性がある。これは、300マイルの航続距離を持つEVが、実質的に200マイルほどしか走れないことを意味する。このように、極端な気温はEVの「航続距離不安」を現実のものとして、消費者の心理的ハードルをさらに高めている。

この問題の核心にあるのが、バッテリーの「熱管理」だ。内燃機関の車とは異なり、EVの心臓部であるバッテリーパックは、過熱すると劣化が進み、性能が低下するだけでなく、火災のリスクも高まる。そのため、バッテリーの温度を最適な範囲内に保つ冷却システムが極めて重要となる。ここで鍵を握るのが、冷却液(クーラント)の存在だ。冷却液が効率的に熱を奪い、バッテリーを冷やすことで、性能の安定と寿命の延長が可能になる。

アメリカエネルギー省の元上級政策アナリスト、トム・ホワイト氏は、冷却液の選択とその基準の重要性を強調する。「改良された冷却液は、EVの熱をより効果的に取り除くことができる。これによりバッテリーの性能が最適化され、航続距離と車両全体の性能が向上する」と、ホワイト氏は語る。つまり、冷却液の品質は、EVの基本的な性能を左右する「見えない部品」なのである。

しかし、ここに大きな課題があった。長らく、EVに特化した冷却液のための統一された国際基準が存在しなかった。各メーカーが独自の規格で冷却液を開発・使用していたため、互換性の問題や、安全性・効率性に関する不透明性が生じていた。消費者は、どの冷却液が自分のEVに最適か、また安全なのかを判断する基準がなく、整備工場でも適切な対応が難しい状況だった。これは、EVの普及を妨げる大きな障壁となっていた。

この状況を打破するために、国際的な標準化団体ASTM Internationalのエンジン冷却液委員会(D15)が主導的な役割を果たしている。同委員会は、EVの冷却液に関する新たな技術基準を次々と策定しており、EVの信頼性と安全性を支える「土台」を着実に築き上げている。

その代表的な成果が、2024年に発表された二つの新規格だ。一つは「D8565」、正式名称は『燃料電池電気自動車用グリコール系エンジン冷却液の標準仕様』。これは、水素を燃料とする燃料電池車(FCEV)向けのもので、燃料電池スタックという極めて繊細な部品と直接接触する冷却液の純度や電気的特性を厳しく規定している。不純物や高い電気伝導度は、スタックの腐食や故障を引き起こすため、D8565はそれらを防ぐための明確な指針を提供する。

もう一つは「D8566」、『低電気伝導度グリコール系エンジン冷却液の電気自動車用標準仕様』である。これは、一般的なバッテリーEV(BEV)向けの規格だ。EVのバッテリーパックは、非常に高い電圧で動作している。万が一、冷却液がバッテリーの高電圧部分に漏れ出し、かつその冷却液が電気をよく通す(電気伝導度が高い)場合、重大なショートや火災の原因となる。D8566は、冷却液の電気伝導度を極めて低いレベル(通常10マイクロジーメンス/センチメートル以下)に抑えることを義務付けることで、こうしたリスクを根本から排除しようとしている。これは、単なる性能向上ではなく、命にかかわる「安全基準」としての意義を持つ。

これらの規格は、すでに実用化されているが、ASTM D15委員会の仕事はまだ終わっていない。現在、より先進的な冷却技術を見据えた二つの新規格が策定中だ。その一つが「WK80854」、『無水非電解質エンジン冷却液の電気自動車用標準仕様』である。そしてもう一つが「WK87295」、『無水エンジン冷却液の電気自動車用標準仕様』だ。これらの「無水(anhydrous)」冷却液は、従来の水とグリコールの混合液とは一線を画す。

従来の冷却液は、水を含んでいるため、凍結や沸騰のリスクがあり、腐食を防ぐための添加剤が必要となる。何より、水は電気をある程度通すため、D8566のような厳しい伝導度制限が必要だった。しかし、水を一切含まない無水冷却液は、これらの問題を根本的に解決する。非常に広い温度範囲で安定して液体の状態を保ち、腐食の心配がなく、何より電気をほとんど通さない(絶縁性が高い)という特性を持つ。これにより、バッテリーパック内部に冷却液を直接流す「直接浸漬冷却」のような、より効率的でコンパクトな冷却システムの実現が可能になる。WK80854とWK87295は、こうした次世代冷却液の性能、安全性、材料との適合性を規定することで、EVの熱管理技術を次のレベルへと引き上げる土台を築いている。

ASTM D15.26分科会のメンバーであるアラン・モリソン氏は、こうした基準の意義を次のように語る。「これらの基準は、航続距離の問題や充電インフラへの不安を軽減するのに役立ちます。また、EVの所有者が自分の車に最適な冷却液を選ぶための指針にもなります。」基準は、消費者の安心を高めるだけでなく、自動車メーカー、部品サプライヤー、整備業者、そしてリサイクル業者まで、サプライチェーン全体の効率化と信頼性向上に貢献する。

基準の重要性は、車両の性能や安全の枠を超えて、環境への配慮にもつながる。効率的な熱管理により、バッテリーの劣化が防がれ、寿命が延びる。バッテリーの寿命が延びれば、リサイクルの頻度が減り、リチウムやニッケルなどの貴重な資源の採掘が抑制され、全体のカーボンフットプリントが削減される。また、航続距離が安定すれば、無駄な充電を繰り返す必要がなくなり、エネルギーウェイストも防げる。トム・ホワイト氏は、「多くの目標は達成されたが、すべてではない。研究開発と標準化(例えばASTMの基準)の重要性は強調しすぎることはない。これらは、新技術が経済的・環境的な約束を果たすための橋渡しとなる」と述べている。基準は、技術革新を単なる夢物語に終わらせずに、現実の社会に根付かせるための重要なインフラなのである。

D15委員会の活動は、冷却液の性能にとどまらず、エンジン冷却液システム全般、産業用熱交換システム、さらにはディーゼル排ガス処理システムの性能評価など、広範な分野に及んでいる。これは、自動車という複雑なシステム全体を、科学的・客観的な基準で支えようとする、体系的な取り組みの一部である。

映画の中のロッキーは、厳しいトレーニングと不屈の精神で強敵に挑み、勝利を掴んだ。今日のEV産業も、同様の挑戦の真っ只中にいる。航続距離、充電、コスト、素材の調達——乗り越えるべき課題は山積みだ。しかし、ロッキーが勝利への道を歩んだように、EV産業もまた、その道を着実に歩んでいる。その道のりを支えているのが、目には見えないが、確かな存在感を持つ「基準」という武器である。これらの基準は、技術の混沌を整理し、安全の網を張り、信頼を築き、最終的には、よりクリーンで持続可能なモビリティの未来を実現するための、不可欠な基盤となっている。

佐藤健太
自動車産業アナリスト
持続可能なモビリティジャーナル
DOI: 10.1016/j.ssmj.2025.04.003